OWN INTERVIEW CONTENTS Vol.18 井上(The Erexionals)

OWN INTERVIEW CONTENTS Vol.18 井上(The Erexionals)

 

OWN(以下、O) 最初に井上さんの自己紹介をお願いします!

井上(以下、I) The Erexionalsというバンドでヴォーカルとティンウィスルと鍵盤ハーモニカを担当してる井上です。世田谷出身で、元々6歳まで下北沢に住んでいて、その後そこからチャリンコで5分くらいの羽根木に移って。

O どんな少年時代を過ごしましたか?

I 小学生の頃は常に外で遊ぶ活発な子供。進学先の中学に暴走族があったんだけど、不良の奴は卒業したらその暴走族に入るっていうお決まりコースがあって。先輩達に走りに連れて行ってもらったり、色々とストリートのことを教えてもらったりしていて、何となく可愛がってもらってはいたかな。そんな感じだったんだけど、当時の俺の格好を隣の中学校の奴らにめちゃくちゃ笑われて。時代錯誤のダサいヤンキーじゃねえかよ、って(笑)。

O (笑)。その人達はどんな格好だったんですか?

I Goro'sをジャラジャラ付けてvanson着て、エンジニア履いてみたいな。所謂チーマーファッション、アメカジ。それに対して当時の俺は私服がボンタンで、上は英語が縦横にたくさん書いてある意味不明な柄シャツ(笑)。そういう周りの影響もあって、不良やっていたら暴走族、っていう道から逸れたんだよね。スティード乗ってエンジニアブーツ履いているのを見てカッケー!って。こりゃあ渋谷に行くしかないでしょ!って感じ。それが90年とか91年。

O その頃ってチーマー全盛期ですか?

I そうだね、チームもたくさんあったね。で、高校に入って仲良くなった友達から一緒にチームに入ろうよ、って誘われてとりあえずそこに入ったんだ。でもそのチームは合コンとサーフィンみたいな活動で、楽しい渋谷ライフみたいな感じでさ。でも当時の俺はもうちょっとハードなモノを求めていて。何て言うのかな、戦い的な……。

O 戦い(笑)。

I 同級生の別の●●●っていうチームも同時期に渋谷にいたんだけど、そっちのチームの活動の方が面白そうでさ。暴走族OBの傘下チームみたいな感じだったんだけど、一回解散して新しい○○○っていうチームを組み直すって言うタイミングでそこに俺も入れてもらったんだよね。そっちに入ってからバイオレンス的な活動も増えて、ようやくしっくりきたと言うか。

O その時は高校生ですか?

I ギリギリまだ通ってたかな。16歳の頃だね。その後、高校はすぐクビになっちゃって。煙草と酒と〇〇。

O フルコンボじゃないですか。

I そうそう(笑)。

O その頃の井上さんって、音楽とは無縁の生活だったんですか?

I いや、当時の資金源が●●とパーティでさ。パーティにはDJが必要じゃん?その頃はHIPHOPが流行り出した頃で、音楽はたくさん聴いていた。ちょうどBody CountとかHouse Of Painが流行り出した頃かなあ。

O 音楽を好きになったのはいつ頃何ですか?

I それはもっと子供の頃だね。親父が音楽好きで、家でビートルズとか井上陽水とかのレコードが流れてた。ドヴォルザーグとか(笑)。あと、俺が通っていた中学は帰国子女受け入れ校で、LAから来た帰国子女の友達に教えてもらったのがNWA。かなり食らったね。MCハマーしか知らなかったし、ギャングスタラップはまだ日本にあんま入ってきてない頃だからさ。音楽に詳しかったダンサーの友達に聴かせても分からないって言っていたから、NWAはタイムリーで聴けたのかも。他にも、NYから帰ってきた奴からはMETALLICAとかを教えてもらったかな。

O チーム活動と並行して、音楽は好きだったんですね。

I そうだね。でも実家には全く帰っていなくて、色んな所を転々として。高校もクビになっちゃったし。

O その頃ってどんな生活をしていました?

I (手のジェスチャーで)コレとコレとコレで……。

O 全部載せられないじゃないですか!そこからどうして井上さんがバンド活動をしていくのかが知りたいんですけど。

I 17歳から21歳くらいまで、先輩の手伝いの夜の部活が忙しくて。だけど、カネカネ言われるし、俺ら後輩の扱いも徐々に雑になってきて面白くなくなってきてその人から離れたんだ。で、鳶職やったり大工やったりするんだけど、全然続かないワケ。遊びたい、朝起きられない、夜寝ないからまた朝起きられない(笑)。

O (笑)。

I そんな感じで仕事が続かないから、またその先輩の所に戻ったり。と言うか連れ戻されて。で、何とかようやく抜けられたから、もう年上とツルむの止めようと思ったんだよね。嫌なことをやるのも良い加減嫌だし、面倒臭くなっちゃって。それでも何かに付けて色々言ってくる年上の奴らもいたんだけど、俺は引かないで生きようと決めたんだよね。以上かな。

O いやいや、バンド活動を始めるキッカケの話して下さいよ!

I そっかそっか、経緯が長くてさ(笑)。当時パンチパーマにスーツみたいな格好でその先輩の手伝いとかをしていたんだけど、周りの友達が「これ以上行くとヤバいんじゃない?もう辞めたら?」っていつも心配してくれて。で、「今ライブハウスがめっちゃ盛り上がっているから、一緒に遊びに行こうよ」って誘ってくれたんだよね。「ライブハウスだったら大暴れできるから!」って。へー!と思って行ってみたんだよね。ハスキン(HUSKING BEE)とかだったと思うんだけど、95年くらいかな。

O メロディックハードコアがブームになる前夜くらいの時期ですか。

I そうだね。当時下北沢は1000円とかで入れるイベントばっかりだったんだよ。で、いざモッシュピットに入って、バチーン!って殴ったら「全然違うよ!」って友達に怒られて(笑)。まあそんな感じで何度かライブハウスに通っていたらステージに居るバンドマンがキラキラしててさ、俺もステージに立ちたいなあ、って漠然と思い始めたんだよね。

O おお、ようやくバンドマンの話になってきましたね(笑)。

I 1コ下の後輩がギター弾けるし、周りの友達に俺からバンドやろうぜ、って声を掛けて。すぐにメンバーは集まったんだけど、ギターパートは取られちゃって、ドラムとベースが残ってたから、何となくベースを弾くことになったんだよ。イシバシ楽器にベースを買いに行って、独学でめっちゃ練習してたら、3、4曲コピーはできるようになった。で、区民センターみたいなスタジオにメンバーと入ったんだ。俺は大きな音でベースがボォン!って鳴らせること自体が楽しかったんだけど、もう1人のギターとドラムは全く練習してきてないし、そいつらはその時点で飽きちゃっていて。

O 気持ちに差がある状態になってしまったと。

I そんな感じだよね。結局残ったギターとベースの俺で約2年くらい練習していたのかな?SEPTIC DEATHみたいな曲とかやっていたよ(笑)。

O へー!その時期にかなり特訓したんですね。

I 単純に楽しかったしね。でもそいつは理屈っぽい奴で、だんだんとソリが合わなくなってきたんだ。こっちも何か言われたら、ぶん殴るぞこの野郎!って感じだったから、向こうも嫌だったと思う。で、離れて1人になったんだよね。21歳くらいだったかな。

O そこで一度音楽活動からは離れてしまうんですか?

I そう。テキトーにまた●●とかしながらお金稼いだりして過ごしていた頃、今9SARI GROUPの相原(master)とか新宿の友達とかとスノーボードに行ったんだよね。で、相原は全然滑れないのに○○でチルしながらリフト乗っていたら良い感じになっちゃって頂上まで行っちゃって。かなり吹雪いていて視界も悪くて、2人で遭難しちゃったんだ。山を何とか越えて、ようやく国道みたいな所に出た時には疲れ切っちゃって。ホント俺って体力無くなってんなあ、と愕然としたんだよね。そこで、体力作りのためにキックボクシングを始めたんだよ。友達に伊原道場を紹介してもらって。

O 伊原道場ですか!?名門ですね。

I 改築中で都立大にあった頃。入門初日に鏡に向かってキックの練習をしていたら、伊原会長が来て。そしたらいきなりバチーン!ってローキックされた。「何だそれ!教えたのと全然違うだろ!」って怒られたんだ。初対面で。僕今日入ったんですけど、って言ったら、「そうか、頑張れ!」って言われた。狂ってると思ったよ(笑)。

O 最高のエピソード(笑)。

I (笑)。まあ何だかんだで21歳から26歳くらいまでキックボクシングを続けていたんだけど、ジムに見学に来てた悪そうな爺さんが「お前仕事してないならウチで仕事しないか?」って誘われたんだよね。それがジム近所の建材屋の社長。その仕事を長く続けられたから、あっちの世界とも決別できたんだよね。良い話でしょ。以上かな。

O いやいや、だからErexionals結成まで辿り着いてないですって!

I そうか(笑)。で、キックボクシングは腰が悪くなっちゃったから続けられなくて、その仕事を頑張っていて、俺の紹介で入った友達が、バンドマンで、次々とバイトが入ってきたんだけどそいつらもバンドやってて。そのバンドがそれぞれメジャーデビュー手前とかのバンドのメンバーだったんだけど、各々のバンドが色々あって次々に解散したんだよ。俺はキックボクシングを辞めた頃に、またバンドがやりたくなっちゃってて。だからバンドが解散した会社のそいつらを1人ずつスカウトして結成したのがThe Erexionals。

O ようやくThe Erexionalsの話になりましたね(笑)。ちなみに、最初からケルティックサウンドだったんですか?

I そうだね。

O 素朴な疑問として、井上さんの世代的にバンドをやるとしたらパンクとかハードコアのバンドが多いと思うのですが、何故ああいうスタイルを選んだのかな、と。

I 25,6歳の時にパソコンを買ったんだよね。その頃ってyoutubeに昔VHSで観たMVがボコボコアップされ出した頃でさ。PoguesのMVを観てめちゃくちゃ格好良いな、と改めて思った時期だったんだよね。笛の音とか入っているバンドって周りにいないぞ、と。あと、周りの知り合いとか友達はパンク、ハードコアとかHIPHOPばっかりだった。だから今更同じことやるより、別なことをやった方が面白いんじゃないか、って思ったんだよね。そこから笛の練習を本格的に始めて、会社の後輩にはマンドリンを買わせて、2人でスタートさせた。そこから徐々にメンバーも増えていって、今の構成になった感じかな。

O そうだったんですね!

I そうそう。で、最初のライブはインストバンドとして出てみたんだけど、いざやってみたら何となく物足りないぞ、と。メンバー誰も歌わないから、俺が歌うことになった流れ。最初にやっていたバンド用にノート一冊分くらい歌詞を書いたこともあったし、改めて書いてみたら割りかしスラスラ書けた。普段の生活で感じる事とかを、あえて比喩表現とか入れながら書いて、最初にできた曲が「sabaku」かな。

O 井上さんの書く歌詞って、独特ですよね。喋り言葉のようでもあり、散文詩のようでもあると言うか。

I ありがたいことに歌詞に関して言ってくれる人は確かにいるね。でも色んな感想を言われても、俺はアホだからピンとこないんだよなあ。書いた歌詞を自分で読んで見ても変な文章だな、としか思わないし。

O 作詞作業はどんな感じでやっていますか?

I 詞は常に書いてる仕事中に。音とかも無しで、ばーっと書くっていう感じ。で、音ができたらそこにハメる。

O 歌詞を書くにあたって、影響を受けたモノはありますか?

I ない(笑)。でも、作詞作業をするようになってから、日本人の歌はほとんど聴かなくなったかな。俺自身も日本語を喋って日本語で歌っているから、どうしても頭に入ってきちゃう。ライブハウスとかでは聴くけど、自分からチェックするようなことはしないようにしてる。

O でも井上さんラッパーの友達多いですよね。

I ラップはバンドの歌詞と違って文字量も多いし、抑揚の付け方とか起承転結も凄いでしょ。だから日本語のラップは聴けるかな。

O ラッパーの方々とも結構繋がっていますよね。

I そうだね。やっぱりLibra Recordsの社長のケイスケと10代の頃から友達だったし。長い付き合いだね。アイツが「後輩でヤバい奴らがいて、そいつらを今度リリースするんだよ」って言っていたのがMSC。後、妄走族のゲン(565)は隣の中学の後輩だったから昔から仲良いよ。この前俺の誕生日会にも来てくれて「ようやく人生折り返しですね、俺たち92歳まで生きるから!」とか言ってたな(笑)。

O そういう繋がりだったんですね。

I  Libraは事務所にも遊びに行っていたし、忘年会とか新年会にも誘われて顔を出していたからホント色んなラッパーとかDJと仲良くなった。"感謝"。あとLibra主催の恵比寿みるくでやっていたイベント「HOT POT SPOT」も盛り上がっていたよね。ケイスケがステージからダイブして喧嘩を仲裁してたり(笑)。マーシー(WDsounds/payback boys)とかも遊びに来てたなあ。マーシーにも色々な人をたくさん紹介してもらったよ。 

O そう言えば、昨年自分の映像チームKook Filmで、The Erexionals「SMOKE TONGUE」のMVを制作させてもらいましたね。どうしてオファーしてくれたんですか?

I 落合君がそういう動きを始めたって言うのを聞いて、どうせだったら知っている人にオファーした方が良いかな、って。知らない人と作って、あんまり意思疎通できなくて揉めるのも面倒だし、気の知れた人と作った方が話もスムーズだよね。Kook Filmが一番最初に作ったマーシーのMVも良かったし。

O 仕上がりも凄く良くなりましたよね。

I ね。評判もめっちゃ良い。コロナ禍でLIVEができないとか、スタジオにも入れない状況がずっとじゃないんだけど、ちょこちょこ出てきて、ストレスも溜まってたし、そういえば浜さん(TRASMUNDO)がこの曲を「コロナ禍の今聴くとジワジワくるんだよね」って言ってたの思い出して。だからタイミング的に色々とバッチリだったと思う。

O 警察と追いかけっこしながらの撮影でしたね(笑)。

I アイツらホントしつこかったよねー。まあとにかく表現/作品として凄く良いモノができたと思っているかな。

O コロナ禍が長引いていますが、今後のバンド活動はどうですか?

I いつでもどこでも、タイミングさえ合えばやりますよ。

O 作品のリリース予定はありますか?

I 初のフルアルバムの制作を進めているかな。曲も何曲か完成してる。コロナ関係で何度もストップしちゃっているけど、来年は精力的にアルバム制作をしようかなと。

O 楽しみですね!では最後にインフォメーションなどありましたらお願いします。

I 12月にシークレットライブが2本あるんだけど、シークレットだから詳細は言えません(笑)。年明けはYAMAZINとなんか企んでるんでお楽しみに!

【INFO】
instagram
@erexionals
@alleynoway

twitter
@THerectionals

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