OWN INTERVIEW CONTENTS Vol.5 HAYATO(45 REVOLUTION / CROCODILE COX AND THE DISASTER)

OWN INTERVIEW CONTENTS Vol.5 HAYATO(45 REVOLUTION / CROCODILE COX AND THE DISASTER)

OWN(以下、O) お久しぶりです!まずHAYATOさんの自己紹介をお願いします!

 

HAYATO(以下、H) こんにちは、HAYATOです。下北沢で45 REVOLUTIONというパンクショップをやっています。あとCROCODILE COX AND THE DISASTERというハードコアパンクのバンドでギターを弾いています。こんな感じかな。

 

O 45 REVOLUTIONのスタートは何年ですか?

 

H 今年で16年目だから、20056年スタートかな。

 

O お店を始める前ってHAYATOさんはどんな仕事をしていたんですか?

 

H 中学を卒業してからすぐ現場の仕事を始めたんだよね。最初は確か電気工事かな。そこから31歳までずっと現場仕事。洋服屋なんてアルバイトすらしたことないんだよね。

 

O そこからなぜパンクショップを始めようと思ったんですか?

 

H  同い年の友達がいるんだけど、そいつにお店やらないかって言われたのがキッカケ。その友達と出会ったころから俺はパンクファッションだったから声を掛けられたのかな。で、最初はレコード屋をやりたかったんだけど、専門知識もそんなにないし、その頃からCDの売り上げは下がっていたから、なんだかなあと思ってパンクショップを選んだ感じかな。当時はもうSCUM BANDITZとしてバンド活動もしていたし。

 

O いきなりHAYATOさんがパンクショップをやりだして、周りの方々は驚きませんでしたか?

 

H 実は最初自信がなくてさ、周りにあんまり言ってなかったんだよね。さっきも言ったけど、洋服屋で働いたこともなかったし、仕入れの知識とかもないしさ。最初は大変だったなあ。でもみんなが応援してくれて何とかここまでやってこれたんだよね。

O 所謂洋服屋さんではなく、パンクショップにしようとしたのはなぜですか?

 

H 当時からバンドのTシャツとか好きでよく着ていたし。でも中々ドンピシャで好きなバンドのものが日本になくて。高円寺に少しあった位かな?SEX PISTOLSとか、BAD RELIGIONNOFXとか定番のバンドのグッズはもちろんあるんだけど、その当時好きで聴いていたGANG GREENとかは一切なかった。アメリカのハードコアバンドのグッズは本当になかったよ。でもネットで探したら海外にあることは分かったから、海外にいる友達に連絡して、「コレとコレを買ってきてくれ!」って頼んだのが最初かな。落合君は知っていると思うけど、移店前の最初の場所は6畳のくらいの間取りで凄く狭いから、在庫を置く場所がなくてさ。今のお店の1/3の物量だよ。結局やっているうちに手狭になるし、どんなに頑張って売っても、在庫がないから売り上げもタカが知れてる。だからもう少しだけ広い店でやりたいな、と思って新たに物件を探して今の場所になったのかな。あそこは狙っていた場所だから嬉しかったよ。茶沢通りにディスクユニオンがあって、すぐ近くにライブハウスの下北沢SHELTERがあるし、立地的にもバッチリだなって。

 

O お店はなぜ下北沢でやろうと思ったんですか?

 

H うーん、やっぱり一番遊び慣れた街だからかなあ。原宿、渋谷でやるなんて考えもしなかったね。俺は東北沢が地元で、その後川崎の方に引っ越したんだよ。でも引っ越した後も地元のツレと遊んでいたし。高校もすぐに辞めちゃって、遊ぶとしたら昔からこの辺だったから、自分で店をやるなら下北沢で、って考えていたんだよね。

 

O 45 REVOLUTIONを運営するにあたって、こだわっていることってありますか?

 

H マニアックでいたいとは思ってる。誰も知らないだろこんなバンド、みたいなものでも扱うようにしたり。あとヨーロッパのバンドより、アメリカのバンドに力を入れているかな。自分の趣味もあってか、ウチの客は昔からアメリカのハードコアバンドのグッズを買ってくれる人が多いからね。こだわりはそれくらいかな。

 

O 当時アメリカのハードコアのバンドTシャツは日本に少なかったとのことですが、やっぱり探してした人は日本にいたってことですよね。

 

H そういうことだろうね。本当に少なかったから。シヅル君(SAIGAN TERROR)のバイオレン堂に若干あったくらいかなあ。こんなニッチな商売で丸15年続いているんだからラッキーだよ(笑)。

 

O では、バンド活動は何歳からなんですか?

 

H バンドは結構遅くて、ちゃんとしたバンドをやったのは28歳。それがSCUM BANDITZ

 

O えー、最初のバンドがSCUM BANDITZだったんですね!勝手に昔からバンドマンだったんだろうな、と思っていました。

 

H それは良く言われる(笑)。SCUM BANDITZは、ベースが古いツレで、大柴(裕介)を誘った時に本腰入れた感じ。NOALLのミノルくんのPUNK ROCK LOCAL WARABIっていう企画でカバー大会があって、それにどうしても出たかったから、即席のバンドを作ったんだよ。それがそのままSCUM BANDITZに繋がっていくっていう流れ。

 

O 僕も観に行っていましたけど、当時からSCUM BANDITZは大人気でしたよね。

 

H 若干バンドブーム的な流れもあってか、ライブやりゃ勝手にパンパンに人が入るし、超盛り上がるし。でも、何か違うんじゃないか?とは時々思っていたかな。多分大柴も思っていたんじゃない?ブームもあってか、全然好きじゃなさそうな子とかもなぜかたくさん来ていたしさ。

 

O  SCUM BANDITZは何年くらい活動しましたか?

 

H 約10年とかかな。そこから俺はJOHNS TOWN ALOHAに勝手に加入させてもらって。

 

O マツさんがJOHNS TOWN ALOHAを抜けたタイミングで加入したんでしたっけ?

 

H そうだね。マツ君はEXCLAIMが解散して、日本脳炎とJOHNS TOWN ALOHAをやっていたんだよ。日本脳炎はメジャーデビューまで行ったところだったからバンドを1つに絞ったんじゃないかな。で、そのJOHNS TOWN ALOHAが母体となって、今のCROCODILE COX AND THE DISASTERになったんだよね。

 

O 今のCROCODILE COX AND THE DISASTERの活動はどうですか?

 

H ホント楽しくやってますよ。昔みたいに俺が俺が、みたいな気持ちも全くないし、仲良くやってる。昔は俺も若気の至で有名になりたい!とかヘンな気があったんだと思う。だからデカいハコとかでもたくさんライブやってみたいな、と思っていたし。でも大柴は主催がイヤな奴だったらそんなイベント出たくねえ、とか平気で言うような奴だから(笑)。

 

O (笑)。ではHAYATOさんの音楽的ルーツを教えて下さい。

 

H 最初はやっぱり日本のパンクだね。スタークラブ、ウィラード、原爆オナニーズ、スターリン。そこからサイコビリーに。サイコビリーにハマったキッカケは、日本の3バンドが入っているオムニバスのビデオがあって。マグネッツ、ストラマーズが好きで買ったんだけど、ストラッツっていうウッドベースの3ピースバンドが入っていて。ロカビリー、リーゼントスタイルのバンドだったんだけど、そのバンドがキッカケでそういう音楽スタイルの存在を知ったんだよ。その後、宝島か何かの雑誌の下北沢特集でサイコビリーの怖い人たちが沢山載っていて。その流れで、新宿のVinylっていうレコード屋にサイコビリーのレコードが豊富にあるっていう話を人づてに聞いて、ちょくちょく買うようになっていったのかな。ベタにBATMOBILEとか海外のバンドに食らって。日本だと東京スカンクスとか。

 

O サイコビリーどんなところに惹かれたんですかね?

 

H とにかくサウンドがヤバイと思った!パンクのサウンドにウッドベースのバッチンバッチンした音が乗るのが最高で。パンクってイカつい音楽だと思っていたのに、サイコビリーの方がヤバイなって思っちゃった。日本のサイコビリーバンドのライブには怖くて行けなかったよ(笑)。

 

O サイコビリーにハマりつつ、アメリカのハードコアパンクも好きだったんですか?

 

H そうなんだよ。俺が若い頃はVIOLENT GRINDが凄く人気で。その影響もあってか、サイコビリーの人たちの中で空前のSUICIDAL TENDENCIESブームが来るんだよね。サイコビリーの人たちもとっくにサイコ刈りなんてやってなかったんけど、それがロン毛にバンダナ巻いてディッキーズのパンツとかに変わっていくのよ。19912年かな。そういう流れも凄い格好良いなと思ってた。ウッドベースでハードコアをやるバンドもいて、同い年のキイチたちはそういうバンドの影響受けてCHARMを組んだんだよ。ハードコアバンドなのにウッドベースっていうさ。

 

O そうだったんですね!当時だと他にどんなジャンルのバンドが人気でした?

 

H メロディックハードコアとかは同時期だった。でも軟弱だと思った(笑)。その少し後にHOUSE OF PAINCYPRESS HILLBODY COUNTとかも日本で人気になってきて。

 

O どんどん様々なジャンルが増えてきた時代というか。

 

H そうそう。パンクの友達いればサイコビリーのヤツもいたし、スケータもいるみたいな。あと、渋カジ全盛期だったから俺たちはそいつらと戦わないといけなかった(笑)。

 

O (笑)。OWNの話になるのですが、コラムの寄稿ありがとうございました! OWNのスタートはどう思いましたか?

 

H こんな時代によく始めたな、とは正直思った(笑)。でもそんなこと言っていたら何も始められないし、応援しようと思ったよ。

 

O ありがとうございます(笑)。嬉しいです。では、今後の動きがありましたら教えて下さい。と言うか、CROCODILE COX AND THE DISASTERで新しい音源そろそろ出して下さいよー。

 

H ホントそうだよね(笑)。実は何曲か新曲もあって、オケだけ録音済みの曲もあるし、大柴が全く歌を乗せてこない新曲もある。アイツはレコーディングの最中に歌詞作ってたりするからね。

 

O (笑)。最後のリリースがコンピレーションアルバム(『…OUT OF THIS WORLD 6』)に収録されていたMADBALLのカバーですか?あの曲を選んだのってHAYATOさんなんですよね?

 

H そう、あれは俺のアイデア。そうだよね、そろそろバンドの方も動かなきゃなとは思っています!あと、こんなご時世ですが下北沢に来たらお店に寄って下さい。スルーされたら寂しいんで(笑)。

 

INFO

45REVOLUTION

https://45-revolution.com/

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