OWN INTERVIEW CONTENTS Vol.25 B.D.(六喩オーナー / PERCUSSIONIST / RAPPER / DJ)

OWN INTERVIEW CONTENTS Vol.25 B.D.(六喩オーナー / PERCUSSIONIST / RAPPER / DJ)

OWN(以下、O) まず、B.D.さんの自己紹介というか、簡単なプロフィールをお願いします。

B.D.(以下、B) B.D.という名前でアーティスト活動をやっていて、栃木県で六喩というショップを運営しています。自分のキャリアのスタートとなると、やっぱり渋谷のGROWAROUNDになりますかね。その前だと、池袋のレコード屋さんで働いていたこともあったんですけど。まあ、何だかんだで20年位はGROWAROUNDで働いていましたね。ラッパーとしてのキャリアはTHE BROBUSがスタートです。ラップをやり始めたのは10代からですけど、世にちゃんと作品を出したっていうのは2004年ですね。そこからTETRAD THE GANG OF FOURに加入して、それがTHE SEXORCISTに変形していった感じですかね。

O ソロデビューは何年でしたっけ?

B "B.D. THE BROBUS"名義で『BLACK TALON RECORDINGS』を出したのは2008年です。そこから 2012年に『ILLSON』、2013年に『BALANCE』とアルバムを出しました。

O 東京出身で、東京で音楽活動をしていたB.D.さんが、栃木県黒磯に移住した経緯を教えて下さい。

B まず奥さんの地元がこっち(栃木)ということもありました。それと、自分の父親の生まれが福島の白河なんです。黒磯から見ると隣町で。そういったこともあって、引き寄せられているな、と(笑)。

O 運命的な何かを感じますね。

B そうなんですよ。でも、自分が黒磯に住んでこういうふうに自分の店をやるとは全く思っていませんでしたね。でもまあ、当時は色々なことが重なって……。それこそ3.11の東日本大震災とか。

O 東京での暮らしや、活動があっても、気持ちの変化があったんですね。

B 自分の子供も東京で小学校に通わせていたんですけど、その色々あったタイミングでこの先どうしようかな?っていう気持ちになったんです。リアルなことを言うと、都内でのマンション暮らしのその先とか……。うん、当時は色々と考えていましたよ。まあ自分は東京生れで育ってきたから、全然その暮らしでも良いんだけど、 子供にはちょっと違うも景色をを見せたいな、っていう気持ちになったんですよ。そこから自分の環境を変えるのもアリかもな、という気持ちに徐々に変わっていきましたね。

O 東京以外での暮らしへの憧れなどもあったんでしょうか?

B 実はそれもあったんです。「東京が地元です」と言うと羨ましがられるんですが、自分は故郷がある人の方が羨ましいな、と昔から思っていましたね。帰る場所があるって良いことですよ。普通は都会に憧れるんだろうけど、俺は田舎に憧れてることの方が多かったな、って。その価値観というか考えも、子供の頃に親父の地元の白河に遊びに行っていた経験があるからじゃないかな、と思いますね。

O 黒磯に引越しをしたのは渋谷のGROWAROUND時代ですか?

B そうです。まだGROWAROUND働いていましたね。そこから早速動き出して、自宅も黒磯に建てて。それが7年位前ですか。

O その頃の仕事や音楽活動は、栃木から東京へ行っていたということですか?

B 栃木と東京での半々生活ですね。で、栃木で暮らしていく内に、こっちでも何か残せないかな?と思い始めたんです。そんなことを考えていたら、黒磯のこの通りや、この場所のオーナーであるショウゾウさんと出会ったんです。

O 今、六喩があるこの場所は、元々"SHOZO音楽室"と言う名前だったそうですね。この場所の存在は知っていましたか?

B 深くは知らなかったんですが、吉田美奈子さんや小坂忠さんなど、日本のレジェンドの方々がライブをやっていたので、遊びに来たことはありましたよ。

O 『ほうろう』の小坂忠さんですか!

B そう。実は様々な名だたる方々がこの場所で演奏していて。その吉田美奈子さんのライブを見たときから、この場所は凄く良いな、好きだな、と感じていましたね。そんな流れで自分もこの場所で何かやりたいと思い、イベントを何度かやらせてもらったんです。システムを入れて、MUROさんを呼んだり、自分が参加したSUKIMONO BANDで出演したり。そんな動きをしていたらコロナ禍になり、この場所が何も使われない状態になっていたんですね。その頃俺はちょうど物件を探していたんです。そしたら嬉しいことに声を掛けて頂いて。

O おお!タイミングバッチリだったんですね。

B ずっとこの場所で何かやりたいな、ということは頭に常にあったのでビックリしましたね。俺が物件を探してるっていう話が回っていたのかも。 色々な物件を見ましたけど、やっぱりここが自分のやりたいことすぐ形にできるな、って思っていたので。あと、ある程度大きな音を出せるって凄くデカイ。ご近所にもそういう場所として昔から認識されてますから。

O バンド活動も含めて、音が出せるのはかなり良いですね。

B ですよね。都内だとすぐ通報されちゃったりしますけど、ここはよっぽど遅くまでやらない限り苦情は来ないですね

O 最高の環境ですね。

B 場所は決まったんですが、店の内容を決める前に行動に移しちゃったので、その流れのままそのタイミングでGROWAROUNDを辞めました。長くアパレル業界にいましたけど、最終的に俺はファッション業界の人になれなかったんだと思います。洋服は好きだけど、流行りを追って、それを売る商売は続けられない。自分はやっぱりアーティストでいたいな、と思ってしまいましたね。

O 当時のB.D.さんは30代後半ですかね?年齢の変化で考え方の変化もあったんでしょうかね。

B HIP HOPファッションの最前線を追っかけて、ニューヨークで買い付けをしたり、スニーカーもメチャクチャ買ったしメチャクチャ売った。でも、これはずっと続けられないな、と。好きなものは追求していきたいけど、 洋服屋をやるなら自分があまり好きではないモノも売らなきゃいけないですよね。だから自分のお店を持って、自分の好きなことをやっていこうと考えるようになりましたね。

O では、B.D.さんのお店、ここ六喩のご紹介を改めてお願いします。

B 自分的には六喩は音楽関係のリサイクルショップのつもりです(笑)。入口としてはレコード屋さんなんですけど、見てもらってわかる通り、洋服もあるし、レコード、CD、ラジカセ、テープもあるし。


O 音楽系の書籍もありますね。

B はい。書籍に関しては結構偏ってるけど、音楽関係、芸術系、あとSF系犯罪ミステリーとか(笑)。

O B.D.さんの趣味の元セレクトされたものが揃っている感じがしますね。

B 何となく1本、"黒い"という芯があるお店になっていると思います。良いか悪いかは来てくれた方の判断で良いんですが、やっぱ自分でお店をやると偏ってしまいますね。

O B.D.さんのセレクトショップ的な感覚ですかね?

B そうかもしれないですね。セレクトの基準も特にないんですが、俺がこう、目利きじゃないですけど何か引っかかったモノを買い付けてくる感じです。レコードはコレクターのかたから譲って頂いたモノもあるし、海外の友人のバイヤーに頼んだりしています。本はマーシー君を始め、Riverside Reading Clubの方々が手伝ってくれました。

O 様々なモノが置かれていますが、どこか統一感があるような気もしますね。

B 何だろうな、それがさっきも言った"黒さ"ってことなのかもしれないですね。でも"黒さ"って色々な意味があるから。肌の色を指すのか、そういう音楽なのか。単なるカラーなのか、それともそういう感情なのか、とか。それを各々で楽しんでもらえたら。

O 先ほど、"リサイクルショップ"とおっしゃってましたが、なぜ中古モノを扱うことにしたんですか?

B 昔から新しいモノよりなぜか使われてきたモノに愛着が湧くんです。新品にはないアジと言うんですかね。古着も好きでしたし。

O B.D.さんは以前から所謂ラッパーっぽいファッションをしていませんでしたよね。

B そうですね。HIP HOPが好きになって、ラップやDJもして、本場ニューヨークに行ってみて感じたことがあるんです。やっぱ黒人がバチバチに色合わせしてストリートファッションをやっているのは格好良いと思うんですが、それをそのまま日本人の自分がやるのって、何だか凄く滑稽だな、と思っちゃったんです。悪く言うとコスプレじゃん、みたいな。

O 自身の中で単なる真似になるのは何か違うな、と感じたんですね。

B 真似したり、向こうのファッションをそのまま持ってくるんじゃなくて、1回自分のフィルターを通す、というのが自分の中で常にあったかもしれない。もちろん若い頃はストレートに真似してましたよ。グリルズとかもやったし。でも最新を追いかけ続けるのは俺は違うな、と思っちゃったんです。音楽も含めて、やっぱり最新のモノより、長く使えたり、長く聴けるモノが好き。10年後も愛せるような。

O 今のHIP HOPはインスタントなモノが多く感じますか?

B そうだと思いますよ。5年後、10年後まで聴かれているアーティストがどれ位いるんですかね。アメリカもそうだけど、瞬間最大風速吹かせて消える、みたいな。まあその刹那的な良さがHIP HOPだよ、と言われてしまったらそれまでなんですけど。最新のモノは自分もチェックしていますし、もちろん否定もありません。ただ、俺はそういう表現はチョイスしないな、と。

O なるほど。六喩にもその感覚が反映されている様に感じます。

B そう言ってもらえると嬉しいです。最新のモノは他所でも買えますしね。そういったモノではなく、自分が良いと思えて、長く使えるモノ、着れるモノ、オリジナルのモノを六喩では扱っていますね。最新の流行りを追い続けるのも疲れますしね。長く愛されるモノ。消費され切っていないモノ。ラジカセなんかまさにそうじゃないですか。今蘇ってるレコードもそう。世間一般では"死んでいた時代"がある。それでも、やっぱり好な人がいる。そんな人たちが良いな、と思うようなモノを置いているお店でありたいです。

O B.D.さんの考えた理想のショップが実現できていると。 

B そうですね。まあ、これからだな、って思うところも多いけど、とりあえず形にできているし。充実していますよ。

O 世間的にB.D.っていうラッパーは拠点が東京でしたし、都市型のラッパー、と言うイメージが強かったと思います。現在、拠点を黒磯に移してみてどうでしょうか?

B どの位の人が自分を知ってくれているのかは分からないんですけど、そういう都会のラッパー、というイメージが付いていたことに逆にビックリして。意識していなかったし、当たり前なんですけど地元が東京だからかもしれません。東京生まれの人ってみんなそうだと思いますよ。だから「よく東京からこんな田舎に来れたね」と言う人もいましたが、むしろそれに憧れて来ているんで、みたいな(笑)。都会って便利だし、凄く良いところも当然たくさんあるんだけど、今の自分に必要なモノっていうのは黒磯の方がたくさんあるかな、って感じています。今の俺の考えや、やりたいことにこの場所は合っているんです。

O どういった面がしっくりきましたか?

B うーん。やっぱり自分のペースで色々と動けて、徐々にですが形にできている部分ですかね。1人でやるのはやっぱり大変な面も多々あります。責任もありますしね。でも最低限の決まりを作ればほとんど自分で把握して、自分でコントロールできる。人を挟まないからこそストレスなくやれているのも良いですね。

O では逆に、大変な面などはありますか?

B やっぱり集客です。特に平日は東京と比べると本当にお客さんの数は少ない。だからこの先どう人を呼べるような動きをするかが重要課題ですね。自分が外に出て何かやるよりも、今はここでやれること探してやっていきたい。なので皆さん泊まりで是非来てほしい。イベントで遊んで、次の日に温泉入って、美味しいモノを食べて帰る。最高に楽しいと思いますよ。

O ではミュージシャンとしてのお話も伺えたらと思います。最近黒磯ではどんな活動をしていますか?

B やはりこっちに引っ越してきて、今自分がやっているバンドのメンバーと出会えたのが物凄く大きいです。ここの近くにJazz Salon黒磯という、ジャズを演奏できるハコがあるんですよ。音楽好きなオジさんたちが週末だけライブしたりするハコなんですけど。そのセッションに飛び込みでライブしたことがあって。

O それはラップでセッションに参加したんですか?

B そう。それを皆さん凄く面白がってくれて。で、実は東京から引っ越してきて、黒磯で六喩というお店を始めまして、みたいな感じで自己紹介をしたら皆さんが六喩遊びに来てくれるようになり、それがバンド結成に繋がっていくんです。そういった活動や流れの中で、俺も楽器ができる様になりたくなり、パーカッションを始めましたね。

O パーカッションを選んだ理由はありますか?

B 打楽器なのでコードとかもないし、直感的にできるな、と思ったことですかね。ラップのルーツ的にコンガとかポエトリーリーディングがあるから、それが頭の片隅にあったのかもしれないです。東京キューバン・ボーイズという1949年に結成されたラテンバンドがいるんですけど、そのバンドのお弟子さんの方に俺はパーカッションを教えてもらっています。そのJazz Salon黒磯でセッションや練習をやっているうちに、その遊びの中から自然とメンバーが集まっていき、バンドに繋がっていきましたね。皆さんとの出会いは、SUKIMONO BANDのベースのマカロンが繋いでくれましたね。

O 結成されたバンドがTHE KILLER STONEですね。メンバーの方々のキャリアもお聞きして良いですか?

B ドラマーの井ノ浦さんはサンディー&ザ・サンセッツというバンドで80年代から活躍していた方です。夕焼け楽団のメンバー。当時からレゲエのドラムを叩いていた本物のレジェンドですよ。SHINEHEADが来日したときも叩いていたようです。ギターのアベさんは元々ジャズの畑の人で新宿PIT INNなどジャズクラブで弾いていたようです。キーボードのタカクさんは六喩の近くでお店をやっていて、さっき俺と落合君と一緒に裏で焚き火しましたね(笑)。皆さんこの辺が地元の方々です。

O その面子がバンドになるのも凄いですが、そこにB.D.さんが加わるという。奇跡が重なっていますね。

B 自分でも面白い流れだなあ、と思います。皆さんは六喩ができたことによって、音楽ができる場所がもう1個できた、みたいな感じで楽しんでくれています。楽器を持ちよって遊ぼうよ、みたいな延長線。音楽で遊んでいる中で生まれたバンドがTHE KILLER STONEなんです。

O 年齢層もかなり幅広いですね。

B 今はもうズレてしまいましたが、70代、60代、50代、40代、30代、20代が揃っていましたから(笑)。ここまで年齢層の広いバンドは世界初じゃないですかね。六喩のYOUTUBEチャンネルでビデオも出しているんんですが、これからこのメンバーで作品も形にしていこうかと計画中です。 

 

O おー!それは楽しみです!では、B.D.さんの個人での活動はどうですか?

 B 最近はずっとトラック制作をしていますね。それがまとまってきたので、12月にビートテープをリリースしました。全17曲で、ラップを乗せた曲もボーナストラック的に2曲入っています。ジャケットも自分で描いて、リリース元も自分で。CDはアパレルをセットにして販売予定です。あとTHE BROBUS時代の相方のBAZOOのアルバムをトータルプロデュースしてます。相変わらずDJもしていますし。


O トラックメイクに関してですが、バンド活動をしてみて感覚は変わりましたか?

B はい、バンドと並行してトラックを作ることで、グルーヴの感覚がより掴めるようになった気がします。良いトラックメーカーって楽器ができる人多いですよね。DJプレミアがベーシストだったり。この前GRADIS NICEが来た時もさらっとドラム叩いていたし、ああ、やっぱりな、みたいな。楽器の知識があった方が作るトラックの幅も当然広がるし、色んな音色を捕まえられると思うんです。

O 日本のHIP HOPシーンにおいて、バンドを組んで生音でやっているラッパーってかなり珍しいですよね。

B 俺たちはパッと上手い人たちを集めただけでやっている人たちと違うし、普段一緒にやっている仲間と活動することこそバンドですしね。そういう繋がりの中でしか生まれないグルーヴとか黒さって絶対にあると思いますよ。

O では、最近のB.D.さんのファッション観も伺えたらと思います。

B 渋谷にいた頃は流行りのファッションを追っていたこともありましたけど、今は家を出たら土との戦いだし、白い新品のスニーカーとか履けないですね。近所で熊も出たし(笑)。だからさっきも言いましたけど、基本的に俺は流行りに流されないような無骨なファッションが好き。そして自分の生活とリンクしている洋服じゃないと、結局着なくなりますし。ハイブランドとNORTH FACEとかadidasのコラボモノとか、面白いな、とは思うけど自分はチョイスしない。新作のスニーカーもチェックはするけど、皆んな同じモノを追ってしまっている気がしますね。昔からそういうことはあったけど、SNSがそれを更に加速させているんだな、と感じてしまいます。

O では、OWNのお話ですが、B.D.さんは#06の新色”BROWN × KIHAKU”を使ってくれていますね。

B さっき話した通り、今の自分のライフスタイル的にアースカラーの洋服を選ぶことが多くなったので、この#06のブラウンが良いな、と思って選びましたね。2トーンカラーも格好良い。俺は視力が悪いので度入り眼鏡を普段掛けているんですが、眼鏡はやっぱり掛け心地も重要なポイント。この#06は掛け心地が良もよくて、使っていて疲れないのも良いですね。

O ありがとうございます!では最後に六喩のインフォメーションがありましたらお願いします。

B 来年2024年は六喩でのイベントを増やしていきたいな、と思っています。今は月1回はやってるんですけど、来年は月2、3回位やりたいですね。イベントはDJイベントとバンドのライブを中心ですが、年1回ポエトリーリーディングのイベントもやっているので、他にはない変わったイベントも増やしていきたいな、なんて考えています。後はさっき話したビートテープの後に、ラッパーとしてソロEPを出す予定です。

【INFO】

六喩

〒325-0045
栃木県那須塩原市高砂町6-7 2F

instagram @umanosuke  @rokuyu20

X(旧twitter)@Killa Turner

YouTube @Rokuyu

Sp Thanks to Kotaro Asaoka!

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