OWN INTERVIEW CONTENTS Vol.30  / 大柴裕介(Artist)

OWN INTERVIEW CONTENTS Vol.30 / 大柴裕介(Artist)

大柴裕介(以下、YO) 改めてインタビューなんて超久しぶりだよね?

OWN(以下、O) ですよね(笑)。OWN INTERVIEW CONTENTSのVol.1が大柴さんなんですけど、あれはLOOK BOOKの1冊目に掲載したものを転載したものなので。インタビューはホント久々ですよね。

YO そっか、あれが一応インタビューのVol.1ってことになってるのか。

O まず、大柴さんがヴォーカルを務めていたハードコアパンクバンド、CROCODILE COXが2023年の大晦日に解散したじゃないですか。その話を聞かせて頂けたらと。

YO バンドの解散に関して、真意はメンバーそれぞれにあると思う。だけど、メンバーに共通してあったのは、キャリアだけがどんどん伸びていって、惰性でLIVEをやってしまう活動は自分達の柄じゃないなぁと。そんな感じになってしまうんだったら、パッと潔く公言して解散するっていう方が自分達らしいんじゃないか、って考えになったんだよね。

O 解散LIVEを観に行きましたけど、潔過ぎと言うか、次のLIVEいつなんだろう?っていうくらいの(笑)。

YO ああいう解散の形があっても面白いでしょ?(笑)。あと、やっぱりCROCODILE COXっていうバンドを最初に作った岡君の存在っていうのは俺自身には大きくてさ。彼はCROCODILE COXを結成して、その後亡くなってしまったんだけど。そんな彼の為と言ったら少し大袈裟なのかもしれないけど、岡君に恥じないバンドであるうちに活動の幕を閉じたかったっていうのは自分の中には少しあったかな。

O 大晦日の下北沢shelterが満員でパンパンでしたよね。東京っていう地元に愛されたバンドだな、と改めて思いました。

YO 嬉しかったなぁ……。当初「大晦日だし人集まらなそうだよね」なんてメンバーで話してたんだけど(笑)。色んな人が大晦日という忙しい日に会いに来てくれて嬉しかったな。良い意味での"東京ローカルバンド"として、東京で根を張って活動できていたんだな、って改めて実感と感謝が込み上げてきたよ。

O 大柴さんの音楽活動って何歳くらいからスタートしたんですか?

YO 20代の前半かな。特にHAYATOとはSCUM BANDITZの頃から一緒にやっていて、CROCODILE COXも入れると20年くらい一緒にバンドをやっていたことになるね。

O 20年!凄いですね。HAYATOさんは今はSiCのメンバーとして大活躍中ですね。

YO そうだね。やっぱりHAYATOはバンドでギターを弾くっていうことが大好きなんだよな。SiCに加入するって聞いた時は改めてHAYATOのギター愛とパンク愛を感じたなぁ。

O これまでの人生の半分くらい音楽での表現活動があったわけじゃないですか。それがストップしたということになりますよね。

YO そうだね、音楽で表現する活動は止まるね。今の年齢から数えて人生の半分って聞くとけっこう凄いね(笑)。

O 今はバンドとしての表現活動がないですけど、最近は絵の活動がとても活発ですよね。少し前は名古屋での展示がありましたし、最近では大阪、東京と合同展への参加もありました。なので、今回のインタビューは絵描きとしてのアーティスト活動を中心にお話しを聞けたらと思っています。

YO 了解。絵は「多くの人に見て貰いたいな」っていう意識になるずっと前から趣味に毛が生えたくらいの感じで制作していて。とはいえ、もともとあまり肩書き自体に興味が無いことや、敬愛する作家さん達への敬意もあって自分の事を「絵描き」とは名乗らないようにしてて。でも、もちろん俺は俺で真剣に描いているから誘われた展示は嬉しいし刺激的だし楽しいから参加していきたいんだけどね。

O 近年はアートワーク提供も多いじゃないですか。アパレルブランドからブルータルなハードコアバンドまで幅広く(笑)。

YO 確かに(笑)。ありがたいよね。それぞれ自分が活動しているフィールドがキッカケでオファーを頂いたっていう感じ。

O ところで、大柴さんが絵を描くことをスタートさせたキッカケみたいな出来事ってあったんですか?

YO なんだろうなあ……。小学校の頃に図工の授業で自画像を描いて、それをマグカップにプリントするみたいな時間があったんだよ。その自画像をどうやら俺だけが変な画角で描いていて、それを先生に凄く珍しがられてさ。それが凄く嬉しかった記憶は強いなぁ。それがキッカケといえばそうなのかも。で、そこから何となく「絵を描くのが好きなのかも?」って考えるようになった気がするんだよ。

O その先生の反応も良かったんですかね。珍しがってくれるっていう。

YO そうなのかもね。その辺りからよく絵を描く子になっていった気がする。後はエピソード的には順不同になっちゃうけどウチの母親が若い頃に少女漫画家志望だったようでさ。幼少期の大柴家は俺ら3兄弟が昼寝をする時間に近所の友達が「あーそーぼー」って来ないように"3人は昼寝中です"みたいな絵を日替わりで母親が描いてドアにぶら下げてたのは凄く覚えてる。

O では自然に身の回りの絵に触れる機会が多くて描き始めたって事なんですかね?

YO いやいや、そんなに劇的でも運命的なモノではないよ(笑)。初期衝動を与えてくれたキッカケとして母親の日替わりの絵と、図工の先生の反応が脳裏に覚えていただけだし(笑)。

O (笑)。その年齢くらいからライフワーク的に描き始めたんですかね?

YO 思い返すとそうかも。その頃から割とポケットやリュックにペンとかマジックを忍ばせるようになったのかな。で、高校生になった頃スケーターの先輩でグラフィティ的な活動をしている人がいて、その人にくっついて一緒に描いたり、友達と待ち合わせの時に座った場所とかに「I was here」みたいなラクガキしたり。あ、その頃、確か亀戸か錦糸町で夜スケートしていて、そんな最中に横断歩道とかに絵を描いていたら、酔っ払ったおっちゃんにいきなり「ラーメン一杯くれよ」って言われてさ。その場で道路の白い部分にラーメンの絵を描いたら、「ご馳走さん」って言って1000円くれたんだよね。実質俺にとって初めての絵のギャラはあの1000円かも(笑)。

O 粋な酔っ払い!メッチャ良い話ですね(笑)。そうやって様々なカルチャーがリンクしていって、今の自身の作品はどんな作風だと思いますか?

YO 自分で言うのもなんだけど、俺は根が暗いからバンド活動の時の歌詞でも結果暗い内容を書くことも多かったし絵の作風もそれにちょっと近いのかな。脳内で「描きたいな」、と思う事柄を紙に出すと割とネガティブに見える作風になりがちだな、とは思う。自分の中でそれをネガティブとは思っていないけど、一般的に見て明るいか暗いかで言ったら暗いと取られる作風ではあるのかなって。

O それが一番自分らしさを出しているということなんですかね?

YO そうなんだと思うよ。自分という人間味が出ている作品を描けてるな、とは思う。多くの人間ってネガティブなことを隠したがるでしょ。だけど俺はそれってあんまり人間っぽくないなあ、と思うんだよね。例えば、俺も男の子だから喧嘩はした事ある。負けた事だってある。なんなら数えたら負けた事の方が多いんじゃないかなって。でも敗北や失敗から学んだという事実がある以上それを隠す必要はないのかなぁって。ただ、ここが割と重要で、「隠さない」と「ひけらかす」の違いは間違えないようにしていきたいんだ。実際俺はダサい部分も多々あって、時にはそういうことの使い方を間違えちゃうからそこは意識していきたいと。

O なるほど。とにかく作品にそのまま大柴さんの"らしさ"が表現されていると言うか。

YO うん。とどのつまり、そういう表現しか俺はできないのかもしれないね。暗い内容を表そうとか、バンド活動時の歌詞執筆に関しては若干あったかもしれない。でも絵に関してはそういった感覚はないかな。結局、脳内をバーンと開けて描いたらこうなっちゃうんだな、って。そんな自分自身に納得もしてるし(笑)。

O 大柴さんの作品は基本的に点描画で描かれていますが、この手法を選んだのは何故ですか?

YO 俺は元々視覚障害で色に弱いんだ。中間色とかで見分けられない色があったり。だから色に対して自信がないから、様々な色のグラデーションが俺にはできないんだろうなっていう思いがあって。でもブラック&グレーであれば自分にもグラデーションが表現できそうだな、っていう流れで点描画をやり始めた感じ。

O 点描画の存在自体は昔から知っていたんですか?

YO 水木しげる先生の作品とかは子供の頃から好き見ていたから、点描画の存在自体は知ってた。でもそれは見た事あるレベルね。

O 今のスタイルで制作する時は何を使って描いているんですか?

YO 点描画の道具は最初から万年筆。ずっと使っている愛用品。そもそも道具の使い捨てみたいな文化が個人的に嫌いで、ずっと使えて愛着の湧く道具が欲しかったんだよね。ギターにしてもバイクにしてもそう。洋服も愛着の湧くものが好きだね。スクラップ&ビルドな時代には反する考えかもしれないけど、人生においてそういうアイテムは絶対に必要だと思うなぁ。

O 大柴さんの周りって、絵もそうですけど様々な創作物を手掛けている友人知人が多いイメージがあります。周りからの影響は受けたりするんですか?

YO はっきり言って影響はメチャクチャ受けてる。自分が格好良いな、と感じる絵を描く人や何かしらで最高の表現をする人達からは、何か盗める部分がないか?って気持ちで見させてもらってるよ(笑)。人からの影響を受けないのはもったいないと思う。特にその人が好きだったり尊敬できる人なら、なおさら。その人の描くスタイル、画角、自分にはない物の見方とかね。影響を受けると言うよりかは、刺激を受けるっていう感じともいうのかも。いざそれを自分というフィルターを通して描いたら模倣ではなくオマージュくらいの作品にしよう。っていうか、おのずとそうなるもんすよ。

O では、自身の作品に対して、特に影響を受けた人はいますか?

YO そもそも俺は絵に関することをアートスクールで学んだワケじゃないんだけど、今まで視覚に入ってきた歴史文献の中ではシュルレアリズムの作家に影響を受けたかな。マグリッドとか、特にエッシャーの作品が好きだね。エッシャーの「天使と悪魔」が西海岸のパワーヴァイオレンスバンドのNo Commentがジャケで使われてて印象的だよね。

O No Comment最高ですよね。あ、あの7インチのヤツがエッシャーなんですね。

YO そうそう。『COMMON SENSELESS』って音源だったっけ。

O シュルレアリズム作品のどんな部分に魅力を感じますか? 

YO 変に知識として勉強したワケじゃないので正確な主張論とかは一旦置いておいて(笑)、天邪鬼なところとか変な遊びゴコロの中に実は明確なメッセージが含まれているところがドキドキするんだ。そういった打ち出し方が自分の性格に合ってるっていう意味で影響受けたなあ、って今でも感じるね。

O ちなみに、自身の作品にはメッセージというか、意味は込めていますか?

YO 自分の作風は「脳で考えるよりパッションのおもむくままに!」みたいな感じではないかな。全てにちゃんと意味というか自分なりのメッセージは設けるようにしてるから聞かれれば語れるようにはしてるよ。でも基本自分の作品にはタイトルは付けず「無題」にしているんだ。人がその絵を見て感じた感想を大切にしてもらいたいっていう気持ちがあるので「無題」。

O なるほど。では、作品の制作過程を教えて欲しいです。自分も含めて点描画がどういう風に描き上がっていくのか、知らない人も多いと思うので。

YO 俺の場合まず紙のサイズが閃めくというか、このサイズの紙に絵を描きたいな、っていうのが頭に浮かんで、紙を切る事から始まる。

O へー。内容より先にサイズ感なんですね。

YO そう。紙のサイズ、質感とかが最初に閃めくんだよね。で、そこから紙を切って、サイズが決定したらスケッチブックとかに鉛筆で下絵を描いて、作品によってはライトボックスでトレースして、もしくは直接紙に点を打ち始めるっていうのが主な流れ。そこからはひたすら点描画のその名の通り点を打ち続ける旅(笑)。

O 単純に線で絵を描くより、圧倒的に大変な作業ですよね。掛かる時間的にも。

YO そうなんだよー。だから真剣に絵の活動をしていきたいな、って思うようになって、唯一後悔してることは、凄く面倒な画風を選んでしまったということ(笑)。描いてる最中はやっぱり単純作業だし、点という物に向き合う時間がとにかく長いから具合が悪くなったりとか、時にはトイレに駆け込んで吐くとかいうのは正直あるね(笑)。

O えぇ……。結構ハードな作業なんですね。

YO ホント好きじゃなきゃできないよね(笑)。しかも俺は現状、絵だけでご飯を食べているワケじゃないでしょ。それでも今のスタンスで作品を作っていけるっていうのは純粋に幸せだと思うよ。リアルな話、俺の場合必ずしも描いた絵の全てがお金に繋がるワケじゃない。でもそれを理解して描かせてくれる家族の存在ってやっぱり凄く大きいし、周りの友達とか仲間も俺のやり方やスタンスを理解してくれてるっていうのは自信に繋がる。そんな環境に本当に感謝してるよ。だから絵に関しては、万が一いずれ世の中が俺の存在や絵に対して全く興味を示さなくなったり、価値を見出してもらえなくなったとしても、きっと俺は絵は描き続けると思うんだよね。

O 評価やお金のためにやっているんじゃないっていうスタンスというか。

YO 生きてく上でもちろんお金は必要不可欠なモノだけど「浮き足立った金銭的価値や評価」にはあまり惹かれないというか。じゃあこの先、何かの間違いで自分の絵が不自然な経緯で名のある画家に評価されたりしても、俺の中でその評価の価値はゼロかな。展示をしたり作品提供してる時点でそりゃもちろん一人でも多くの人たちに見てもらいたい。その為には描き続けて認知されなきゃいけない。でもあくまでもまばたきしたら途絶えてしまいそうな瞬間的な名声が欲しくて絵を描いているワケではなくて。やりたいから、描きたいから続けていくんだ、っていう核の部分はブレずにいたいよね。そのうえでいずれ多くの人達に知られる作家になっていけたらなぁ、ってさ。

O 近年はそのその衝動や物事に対する想いよりも数字を重視してしまったり、目先のお金を追いかけようとする価値観が強まっている気がしますよね。

YO 確かに俺もそう感じるところあるなぁ。たまに「本気で腹の底から素晴らしいと思ってソレをやってるの?」って疑問に感じるような人とかSNSの発達に伴って目に付くことは多くなるよね。短期集中的に「ヤバい!イケてる!」って目立てば良いって人もいるし、そこに飛び付く取り巻きの人も多い。瞬間のバズを換金できるっていうシステムが出来上がってしまったこと自体がSNSの善と悪の「悪」部分だと思う。でもまぁ……そんな事まで考えるようになったのはハードコアパンクのせいだよね(笑)。いや、おかげと言った方が良いのか(笑)。

O おかげってことにしましょう(笑)。では、最近大柴さんが手掛けた作品を聞きたいです!

YO 長野県の大町市が主催している「IDENTITY FES」のロゴやOPULENCEっていうアパレルブランドにアートワーク提供してるよ。あと、バンドだどELMO、AND BELIEVE、B SIDE APPROACH、Discavil、9991のマーチャンダイズとかにアートワークを描かせてもらってるよ。あとはまだカタチにはなっていないけど、進行中のものも幾つか。ELMOはヴォーカルのマー君が海外出張から帰国したタイミングでライブハウスで談笑してたら急にお願いしてくれて(笑)。9991はベースのミサちゃんとドラムのハルちゃんから熱烈コールを頂いて描き上がったらメンバー全員でお礼動画を送ってくれて、それ見てホッコリ(笑)。Discavilはベース&ヴォーカルのタケトから「新しくバンド組むので是非お願いします!」って連絡来て速攻描いた!AND BELIEVEは元CROCODILE COXメンバーのキタちゃん、B SIDE APPROACHはウメ君の2人は同い年で昔からお世話になってるっていうのと「AB(And Believe)」と「BA(B side Approach)」の頭文字がテレコっていうのが面白いと思って半ばファンアート感覚で描いたら即採用してもらったという(笑)。他にも今まで手掛けさせてもらったバンドはあるけど直近でいうとこんな感じかな。という感じでバンドのロゴ依頼の経緯はそれぞれのバンドにあるけど一貫して言えるのは先ずは自分自身が好きなバンドっていうのが大前提。それ以外のフィールドの案件に関しては依頼してくれた方々と着手前に必ず一回以上打ち合わせをして意気投合し合えたら描かせてもらうという流れが主だね。

O さっきも言いましたけど、ジャンルが幅広いですねえ。

YO 昔からなんだけど、俺は活動するフィールドを1つに選びたくない、っていう気持ちが結構強くて。「Sid & Nancy」みたいにパンクファッションをしたならパンクの仲間だけと連んで、みたいなのが昔から苦手で。どのフィールドに行っても極力自然体で自分のまま、こんにちは!って言える状態でありたいというか。って言うかそれが当たり前に普通の状態じゃない世界の方がおかしいよね。と思ってるよ。

O 去年、今年と、ZERO MAGAZINEプレゼンツで合同展もありましたね。

YO hirotton、ダイコン君(haksid)、373君と一緒に展示させてもらったんだけど、もう感無量。その一言に尽きるよ。この3人には各々の作品、人柄に対するリスペクトだけじゃなく「スケートボード」っていう素晴らしい共通点にも胸が熱くなるんだ。ましてや絵に関しては自分なんかよりずっと以前から活動をしている人たちだから、大先輩3人に交ぜてもらえて凄く嬉しかった。改めて3人と、企画してくれたZERO MAGAZINEの安田さんには感謝してます。

O ちなみになんですが、長く音楽での表現をしてきたじゃないですか。また音楽をやりたいな、って気持ちになったりってないですか?

YO CROCODILE COXを解散してすぐは言葉では表せない色々な気持ちがあって、なかなかライブハウスに足を運べなかったんだけど最近ようやくライブを観に行く時間が作れるようになったから、頻度こそ多くは行けてないけどずっと観たかった格好良いライブを観ると刺激は受けるよ。こないだ渋谷で観たカズオ君(MC KAHZZ)のLIVEは本当に刺激的だったなぁ。そういう素晴らしい演者たちを観ると、自分も音楽の上でマイクに向かって言いたいことがありそうだな!?、と、ちょっとフワッとしちゃう(笑)。とはいえ今すぐバンドを新しく組みたいかと言われたら今はそこに時間は費やせないっていうのがあるからなぁ。な感じ。

O 実は、今回のインタビューは「OWN INTERVIEW CONTENTS」の30回記念っていうのが裏テーマでありまして。なのでまた改めて大柴さんに出てもらったっていう。

YO もうVol.30か!よく続いてるなあ(笑)。

O (笑)。OWNの1stコレクションからずっとモデルもやって頂いていますしね。

YO 元々俺らは古い友達っていうのもあるし、やっぱり単純に友達のプロジェクトを手伝えるっていうのは凄く嬉しいよ。最初のコレクションなんてさ、当然まだ誰もOWNの存在を知らない状態じゃん。そこからこうやって継続して徐々に世の中に広がっていくのを凄く身近で見れてることも嬉しいよ。覚えてると思うけど最初の撮影の衣装なんてさ、8割くらい俺の私物を使ってさ(笑)。

O そうでしたね、大変お世話になりました(笑)。

YO 俺自身がもともと眼鏡好きっていうがあったからお前が眼鏡ブランドを立ち上げてくれたことは本当に嬉しかった!そして現在進行形でOWNは本当に愛用させてもらってるよ。

O ありがとうございます!ちなみに今ってどの品番をよく使ってますか?

YO 毎シーズンクオリティも高いし面白い形の品番も増えたけど、未だにぶっちぎりで#03ですよ(笑)。個人的に不動の1位はやっぱり#03。もはや「どの洋服に合わせたいな」とか考えないからね。何ならこの眼鏡に合わない洋服は持ってない!って思い込んでるから(笑)。#03はこのゴツッとした見た目も好きだし、深い青色のフレームはとにかくツボったね。最近は青フレームだけじゃなくて黒も使ってるし。それにOWNのおかげで今まで守備範囲外だったフォルムやメタルフレームも好きになれたのは感謝だね。実際ここ最近絵を描く時用に作った老眼鏡はOWNのメタルフレームだしね。

O そうでしたね。老眼鏡もOWNのフレームで作ったんですよね。

YO そうそう。OWNの柾木君に「メタルフレームは軽いからコレで老眼鏡を作ったら描いてる時にストレス無いですよ」ってそそのかされて。もうね、絵を描く時の疲労感98%軽減で。結果、柾木君ホントありがとう(笑)。なので世の同世代連中も、視力低下を感じたら抗わずにOWNのフレームで老眼鏡を作るべきです、と言っておきます(笑)。

O プロモーションありがとうございます(笑)。では最後にインフォメーションなどありましたら!

YO 何月にどこで、とかはまだ言えないんだけど、「ウチで展示やりませんか?」ってお声がけしてもらっている企画が何件かあるので、新しい作品が描き溜まったタイミングで展示をしていきたいなと進めているところです。あと、自分の周りには本当に素晴らしい音楽人がたくさんいるので、あまり自分のことをDJと言うのはおこがましいんだけど……嬉しいことにDJとしても誘ってもらうこともあってさ。自分的には皆んなと聴きたいレコード持って遊びに行っているだけなんですが、皆さんもお時間がありましたら是非遊びに来て下さい!展示も決まり次第何かしらでインフォメーションします!そんな感じで!

O ありがとうございました!今年の真夏も冬服での灼熱撮影があるので宜しくお願い致しますね(笑)。

YO あ……了解(笑)。

【INFO】

instagram @tillssdd

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